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2022年1月26日水曜日

馬を含む故事・成語 5選 先人達が遺し歴史的教訓と遺訓の宝庫

馬を含む故事・成語 5選
 馬と人間の付き合いの歴史もなかなか長い。したがって、馬を含む成語や馬にかかわる故事は非常に多く存在する。そしてそのいずれも示唆と教訓に満ち溢れている。の歴史

 
  1. 天高く馬肥ゆる秋
     秋晴れのいい天気の続く中、収穫の秋、穀物や果実が多く実り、馬も超える豊かな秋を謳歌した言葉

      杜審言(杜甫の祖父)の詩『蘇味道に贈る』に「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」とあるのに基づく。
    紀元前1500年ごろから普の始め(西暦350年)ごろまでの2000年間、中国の辺境の地を匈奴と呼ばれる蛮族が我が物顔に駆け巡っていた。彼らは騎馬に乗ってハヤテのごとく現れ農地や都市を蹂躙し、風のように去っていった。

     これには歴代の王権も非常に恐れ、万里の長城を作ったり、美女を贈って宥めようとしたり大変苦労をしている。

     『漢書・匈奴伝』の中で、杜審言は「匈奴秋に至る。馬肥え弓つよし。即ち塞に入る」とうたって匈奴に備え辺境に旅立つ友人の蘇味道を贈っている。「天高く」の言葉はこの杜審言の詩から出ている。


  2. 老馬の智 春秋時代の五覇のひとり、斉の桓公をたすけた名宰相、管仲に係わる故事
     桓公がこの管仲、シュウ朋らを従えて小国を討伐すベく兵を起こしたときのこと。
    攻撃の往路は春でだったが、戦い終えて帰路につくころには、季節はいつしか冬になっていた。肌をさす寒風と悪天候下での行軍は、往路とはまるで違ったきびしさだった。
    山を越え、谷を渡り、難渋しながら行軍するうちに、桓公の一軍はいつのまにか道を失ってしまっていた。激烈な寒気のなかでふるえながらも、隊長たちは、あの方角ではないか、いやこの沢を渡るのではないか、などと確信もなく、度を失っていると管仲があっさりと、「こんなときには、年老いた馬であれば、本能的に道をさがしあてるものだ(老馬の智を使うべきだ)」。そこで駄馬の中から一番の老馬を選んで車から解き放ってみると、馬はしばらくあたりの様子をさぐっているようでだったが、やがてある方角に進みだした。これについて道なき道を行くうちに、老馬はついにもとの道に行きついて、軍兵は凍えることなく無事行軍を続けることができたというのである。

     老馬の智とは、なんでも知っていると、どんなにこざかしげにしても、その知恵が老馬や蟻にすら劣ることがあるものだ、つまり、どんなつまらぬ人間と思われていても、人はそれぞれの得手や特徴をもっているもの、だということになる。


  3. 鹿を指して馬と為す
     秦の始皇帝の寵臣であった趙高に関わる故事


      無理に是非をさかさまにする。権勢によって白を黒と言いくるめる例え。

      趙高は秦の始皇帝の亡き後、次々と他の重臣たちを謀殺して、大いなる権勢をふるった。
     そこで自ら皇位を狙う趙高は、自らの権勢を誇示し、廷臣たちの自分への忠誠心を試そうと、傀儡の皇帝と廷臣達の前に一匹の鹿を引き出し、「これはまれにみる名馬です。これを陛下に献上したいと思います」並みいる廷臣たちは、趙高の下心が分かっているだけに大いに戸惑いながらも、趙高の仕打ちを怖れ、大部分のものは、「馬に違いありません。」と答えたが、気骨のあるものは、「これは馬ではありません。鹿です。」といった。
     趙高は、そのように自分の意に反したことを言った臣下を覚えていて、次々と抹殺した。このように権勢を極めた趙高であったが、やがて自らも殺されることになってしまった。

     この故事は、黒を白に言いくるめる例えであり、馬鹿の語源ではない。
     この故事と同じような出来事は、毎日のように国会で見聞きする話ではないか。歴史は繰り返すというが、何が起こっているか、誰が何を言ったのかきっちり見極めなさいということを我々に諭している。
  4.  人間万事塞翁が馬
     出典(「淮南子・人間訓」 河出書房)

     人間の吉凶禍福の定まりがたいことを指す
     昔、中国の北方地方に住む異民族を総称して「胡」といって、漢民族から大変恐れられていた。この話はこの辺境に住むある老人の話である。

     ある時、この翁の馬が胡の地方に逃げてしまった。この辺りでは「南船北馬」といわれ、馬なしでは生活が非常に困難であった。近所の人々が慰めてくれたが、「これが幸いに転じることもあるでしょう。」と老人は一向に気に留める気配もなかった。それから数か月の地のこと、この馬が胡の地から良馬を連れて帰ってきた。
     人々は老人にお祝いにやってきたが、老人は「これがどうして禍にならないことがあり得ましょうか」とちっとも喜ばなかった。
    それからというものは、老人の家ではいい馬が多く育ったが、乗馬の好きな息子が、落馬して、腰の骨を折ってうまく歩けなくなってしまった。村人たちは、気の毒に思って老人を慰めにやってきたが、いやいや、またいいことがあるでしょうと平気な顔をしていた。それからしばらくして胡人が村に雪崩れ込んできた、村の若者は全て戦争に駆り出され死んでしまったが、しかし老人の息子は足が悪いということで兵役にとられず親子とも無事に平和に暮らしたということだ。

     人生は偶然性が支配している話として、後世に伝えられたが、淮南子の真意は偶然性と見えることもみな人間自らが、招くものだということをいいたいようだ。人のせいにしたり、偶然な出来事にしたりせず、自分の問題と考えなさいということか、奥の深い話である。


  5. 世に伯楽あり、然る後に千里の馬あり
      出典:「韓愈・雑説」
     英雄豪傑を千里の馬、名君、賢相にたとえて、いかに優れた人材でも、名君、賢相に巡り合い、そのところを得ると同時にそれ相応の待遇を得なければ、せっかくの智能も才能も生かすことができないという意味 
     また別の観点から見れば、どんなに優れた才能の持ち主であっても、優れた指導者などに見いだされなければ、その才能を生かすことはできないということでもある。


  6. 馬耳東風
      出典:「李白・「王十二の寒夜に独酌して懐ありに答う」

     李白の友人の、王十二が寒い夜独酌しながら、李白に自分の不遇を訴えた詩に対して、答えた詩の中に出てくる。中国では昔から武より文を重んじた国ではあるが、世間は「東風の風馬事を射るがごときあり」と王十二と共に李白自身も自分の言葉に耳を貸そうとしない悲憤している。
     詩人たるものもっと高踏的な気持ちで頑張りなさいと力づけてはいる。李白は王十二に対して、嘆いてばかりいないで、自分の志を以て強い気持ちで進みなさいと励ましている。




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