仁が含まれる成語は多く儒教の背骨を構成する。そしてそれは今や東アジア諸国民の土壌となって人々の思想、文化の礎になっている
われわれ日本人や中国人や韓国人の考える民主主義と欧米人の考えるそれとは違うのではないかと薄々感じていた。なぜだろうと考えてみると、結局『個』の考え方や受け止め方の違いではないかというとことに行き着いた。
欧米人は徹底した個人主義の上に物事を考えるが,東アジアの人々は絶えず周りをkにして物事を考え、徹底的に個人を前面に押し出すことができない。このことは決していい悪いの問題ではなく、民族性の問題であると思う。
しからばこの複雑な世界を本当に調和させるためには、どうすればいいか試行錯誤が続くが、そのヒントはこの欧米人とアジア人の『個』の受け止め方の調和を図ることになるのではないかと感じている。
一視同仁
出典:
出典:唐•韓愈《原人》:“是故圣人一視而同仁;篤近而舉遠
近い遠いと関係なく分け隔てなく同様にみる詳しい紹介:
差別することなく、全ての人を平等に慈しむこと。「一視」は一つのものとして見ること。「仁」は愛するという意味。
「同仁」は全てのものを同じように愛するという意味。
仁義礼智
人として行わなければならない徳を「仁義礼智」とする出典: 孟子・尽上
漢書「董仲舒」ではこれに『信』を加えて、仁義礼智信の五徳としているとしている詳しい紹介:
漢書「董仲舒」ではこれに『信』を加えて、仁義礼智信の五徳としているとしている
殺身成仁
通常他人のために自身の一命を犠牲にすることを「身を殺して仁を成すというが孔子の場合仁を成すために身を殺すという出典: 「論語・里仁」
仁のある人とは生命を捨てても、仁を成し遂げるものだ故事:
ある時孔子の弟子が、教えを乞うてきいた。先生は人徳についてお話をされています。忠義全てまことに結構だと思います。人皆お互いに愛し、仁義を持って人に接する。これは美徳です。これを得たいものだと思いますが、人々の住む世界は欲望に満ちています。もし仮に人徳と生命とが衝突する事態に至った時はどの様に処理すべきでしょう。
孔子は厳粛な面持ちで、真に人を持つ人なら、仁義を捨てて自分の死を恐れて、生きようとすべきではない。仁義を全うするために自分の命を顧みないようにすべきだ。
巧言令色鮮し仁
口がうまく人にへつらう人間を孔子は忌み嫌った出典:「論語・学而」
巧みな話しぶりと人当たりの良さでへつらうような人間は、本当の思いやりの心が少ないものです。詳しい紹介:
言葉や顔つきを上手くとりつくろうような人たちには、仁なる人(人格者)はいない。
却ってむしろ口が重く、愛想がない、「剛毅木訥」の人こそ仁に近く信頼できるものだ。
觀過斯知仁矣:
過ちを観て仁を知る出典:『論語』里仁:
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。詳しい紹介:
「人之過也,各於其黨。觀過,斯知仁矣。」人は誤りは、その特性に応じて、犯すものだ。したがって、その誤りを見ればその人となりが分かる。
志士仁人
殺身成仁でも同じような講和がなされている出典:《論語•衛靈公》:“志士仁人
仁を害することを以て生を求めることなく、仁をなすことを以て身を殺すことあり詳しい紹介:
国家・社会のために心を尽くそうとする人や、仁徳のある人は、自分の生存のために、生命を捨てても仁の道を全うする。
このような滅私奉公的な考えは、儒教の考え方の根幹をなすように思われる。
これは長い間、美徳として称賛されてきた。近年においても中国の体制の中でも、しばしば、革命運動を推進する人々の革命的な精神を称賛するものとして繰り返されてきている。
中国の革命運動の土壌が、本当に個を生かすという近代的な思想からは乖離を起こしているといわざるを得ない
宋襄之仁
むやみに情けをかけたことによって、かえってひどい目にあうこと。敵に塩を送るという上杉謙信の逸話と対極をなす出典:
『春秋左氏伝』僖公二二年詳しい紹介:
中国春秋時代、BC640年ごろ、宋の襄公が楚に攻められたとき、臣下が「敵の布陣が完成する前に、攻撃を仕掛け、相手を打ち破るべき」と何度も進言したのを退け、「君子は敵が困っているときには苦しめるものでない」といって攻めなかった。結局、宋は好機を逃して楚に敗北を喫した。
漢字の成立ちや由来について ☜ はこちらに詳しく展開されています
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