故事・成語のページ

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鳥獣戯画・守株待兎

2022年6月11日土曜日

兔を持つ故事、成語、熟語五選

兔を持つ故事、成語、熟語五選

守株待兎

この成語の概説

 偶然の幸運に味をしめて、また同じ偶然を期待して待つという愚かな行為のこと。ウサギを待って、切り株を見張るという意味。また、古い慣習に固執する愚かさのたとえ。

出典

  中国春秋時代、宋のひとりの農夫が、ある時自分の目の前で兎が木の切り株にぶつかって死んだので手に入れることができた、それ以来毎日その切り株のところで見張りをして、うまい話が二度あることを心待ちにしていたという説話から。(韓非子) この逸話は「待ちぼうけ」という歌にも歌われている。

兎死狗烹

この成語の概説

  兎が死んでしまえば、それを捕らえるのに用いられた猟犬は不必要となって、最悪、煮て喰われてしまうという意味

出典

   史記 淮陰候列伝
漢の国王劉邦が、楚の覇王項羽を打ち破って、すぐに韓信が楚の王に任じられていたが、 その韓信の下に長年自分を苦しめてきた鐘離昩がいた。劉邦は韓信と鐘離昩を一緒にしておくと自分を脅かすと恐れ、何とか鐘離昩ともども取り除こうとした。そこで、劉邦は『韓信に謀反の意あり』と諸侯の軍を招集し韓信を討とうとした。そこで韓進は恐れをなし、鐘離昩に相談をした。
 鐘離昩曰く「高祖が楚を襲撃しないのは君の所に僕がいるからだ。もし君が僕の首を劉邦に差し出すようなことをすれば、君もたちまちやられるよ。君がそんな人間だったとは。それならわしは死んでやるから僕の首を劉邦にもっていくがいい。そして自分の眼で確かめることだ。」といって、自らの首を刎ねてしまった。その首をもって韓信は、劉邦の所に赴いたが、果たして鐘離昩の言う通り謀反人として捕縛されてしまった。
 韓信は自分の浅知恵を悔しがり、「ああ、『兎死狗烹』(狡い兔死んで良狗烹られ、高い鳥つきて良弓蔵れ、敵国敗れて謀臣滅ぶ」と後悔したが後の祭り。 兎死狗烹はここからきている。


兔子不吃窝边草

この成語の概説

 賢い兔は自分の巣穴の周りの草は食べないものだ。生活の安全は、身の回りを注意することから始めるべきだという戒め。

故事

 中国の山深い田舎に、一匹の母ウサギと2匹の子ウサギが住んでいた。一匹は灰色兔で、もう一匹は黒色兔でした。母ウサギは子ウサギたちにいつも、「いいかい、自分の巣穴の周りの草は食べてはいけないよ。人間の猟師がやってきて巣穴が見つかると、すぐにとって食べられてしまうよ」。やがて子ウサギたちが成長し母ウサギと別々に暮らし始めました。灰色ウサギは母ウサギの言いつけをまもり、食事をするときは自分の巣穴から遠くに出かけて行って、草を食べていました。
ところが、黑ウサギは最初の内は母親の言いつけをよく守っていましたが、何にも起こらない日が続くと、遠くまで行って食事の草を食べるのが面倒になり、少しずつす穴の周りの草を食べるようになりました。そして、いつの間にか自分の巣の周りの草はすっかりなくなり、巣穴の入り口がはっきりと分かるようになってしまいました。
 ある日のこと、人間の猟師が現れ、黑ウサギの巣穴はすぐに見つかり黑ウサギはたちまち捕まってしまいました。
 一方灰色ウサギの巣穴は草に覆われていたため猟師に見つからず、いつまでも元気に暮らしたということです。

兔角牛翼

この成語の概説

 兔には角は生えず、牛には長い翼はない。

出典

  条理に合わないことの比喩。「兎角」という言葉もこの言葉からできたという説もある


狡兔三窟

成語の概説

  すばしこいウサギは多くの隠れ穴を持ち、あらかじめ逃げ道を用意しておき、巧みに身の安全を図ること

出典:《战国策•齐策四》

 “狡兔有三窟,仅得兔其死耳。

 春秋時代、斉の国の孟嘗君という名士の下に冯谖という食客がいました。彼は「ふつうは賢いウサギは皆3つの洞窟を持つならば、緊急の時追手から逃れて、死ぬことは一死はのがれる。但し身を隠す場所が一つだけだとまだ枕を高くして寝ることはできない。」といって、更なる安全策をとるように促したという逸話がある。



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2022年2月21日月曜日

書にかかわる故事来歴・成語集:役に立つ人生の糧と歴史の教訓 

役に立つ人生の糧 故事来歴・成語集

 

焚書坑儒  

中国で初めて統一国家を作り上げた始皇帝にまつわる話

出典:史記、始皇帝紀

詳しい紹介:
 秦の始皇帝の 天下統一がなり、封建制を廃止して諸国を郡県に分けて中央集権の一大帝国を開いた 。 その34年、紀元前213年 群臣を集め、今後の方策を議論させた 。
 そこで丞相の李斯が皇帝の前に進み出て、「今や天下泰平の世の中ですが、朝廷では口をつぐみ、巷に出てはこれを論難し、しかも門下を引いて徒党を組んでいるものがあります。かかる輩を放置すれば 君の御威光を傷つけ、将来に禍根を残すものである 。
 従って四民必須の医薬卜筮、農耕の書と秦の記録を除く他の書、詩・書から諸子百家に到るまでの書物を焼き捨てるよう進言します。 さらに詩・書を論ずるものは死刑にしその屍をさらすこととし過去と比べて現在を謗るものは一族皆殺しとし、また以上の禁令を犯したものを知って検挙しない役人も同罪とする。また命の出のち30日を経ても書を焼かないものは、刺青をして賦役の刑に処すよう厳命ください。」始皇帝はこれを了承し、史上まれにみる大弾圧が行われた。これを焚書という。

 さてその後以前から不老長寿の生を得たいと念じていた始皇帝は神占術にこり、大勢の方士を集めた。とりわけその中での盧生と侯生というものを信頼していたが、この二人は儲けるだけ儲けると始皇帝の不徳を言い立てて咸陽を逃げ出してしまった。
 皇帝は大いに怒り、この他にも悪態をつくやつがいるだろうということでスパイを放って市中を探らせると果たして朝廷を非難している学者たちがいることは分かった。詳しくこれを調べ上げ、それに連なるも460人をことごとく捉え、生きながら穴埋めにして遍くこれを天下に知らしめた。これを坑儒と言う

  

能書は筆を選ばず  

絵で文字でも、本当の達人は紙や筆などの材料や道具には文句をつけないということだ。

参考文献:「中国故事物語」 河出書房新社 、後藤基巳、駒田信二、常石茂編
出典:唐書

詳しい紹介:
 唐の時代には多くの学者、詩人、画家などが輩出された。書道の達人としては、虞世南、褚遂良、顔真卿、歐陽詢などが有名だった。中でも歐陽詢は最も名高い。
褚遂良は良い筆や墨がなければ書こうとはしなかった。
 ある時褚遂良が「歐陽詢の書と自分の書を比べたらどちらが優れているだろうか」と虞世南に尋ねた。虞世南は答えて曰く、「歐陽詢は筆については一切文句を言わず、どんな筆でも、どんな紙にでも書いたそうだが、どんなものを使っても思う通りに書けたという。君はまだ、紙や筆にこだわっているようだから、到底を使っても思うようにかけたというまだ神谷すでに降ってるようだから到底、詢にはかなうまいといった。これには褚遂良も一言も返すことができなかったという。

日本にも「弘法は筆を選ばず」という言葉があり、これと似たような話である。

  


 


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2022年2月16日水曜日

牛にかかわる故事来歴、役に立つ人生の糧・成語集

牛にかかわる故事来歴、ことわざ、成語

 

牛耳を執る   

 古代中国で諸侯が集まって同盟をする時の一儀式

出典:
史記、左伝

詳しい紹介:
牛の耳を取り裂いて血をすすりあって、神前に誓いを立てる。この時盟主(最も尊いもの)が牛耳を取り、最初に血をすするのが通例である。昔戦国時代呉王夫差が「晋」の定公との間の同盟を結ぼうとした時、この「牛耳を執る」ことに固執し、ついには晋の定公を奇襲で打ち負かし、自らの盟主としての「牛の血」をすすった後、越王勾践との戦いに急ぎ取って返した話は有名。

  
 
 

九牛の一毛

 取るに足らない些細な事

出典:
前漢の第7代皇帝武帝の治世下、後に史記を書き上げるとこtになった司馬遷が、李陵将軍を庇ったことに皇帝の逆鱗に触れ、宮刑に処せられた時、「世人は私が刑せられたことなど、九牛が一毛を失うことぐらいにしか感じないであろう」と嘆いたことからくる。

詳しい紹介:
 紀元前99年李陵将軍は匈奴征伐に向かった。彼は辺境の地で名を馳せた李広の息子である。李陵将軍はわずか5000の兵を率いて強大な敵の主力部隊とぶつかり、奮戦したにもかかわらず、援軍もなく、脱走兵も出るに及んで、匈奴の捕虜となった。皇帝武帝は彼が匈奴の手厚い保護を受けていると知り、激怒し家族も含め厳罰に処しようとした。司馬遷は、「わずかな兵で強力な敵と戦い奮戦したにも関わらず、やむなく降伏したものと考えられる。従って李陵の功を大いに天下に知らしめてください。」と弁護した。それを聞いた武帝は司馬遷を投獄の上宮刑に処してしまう。宮刑とは男根を切断する刑であり司馬遷自身も最下等の恥辱といっている。その時に「彼は世人は私が刑せられたことなど九牛が一毛を失うぐらいにしか考えてないであろう」とも言っている。司馬遷はこのような恥辱を受けながらも、それに耐え、『史記』百三十巻を完成した。紀元前97年のことである。

 
 

蝸牛角上の争い  

つまらない事で争うこと。

出典:『荘子』則陽

詳しい紹介:
 戦国時代は中原の国々が覇権を争い強肉弱食の武力抗争に明け暮れた時代である荘子の則陽篇にあるこの話 荘子が梁の恵王に対し説いた話だといわれている。弱肉強食の武力抗争に明け暮れていた血みどろの戦いをカタツムリの角の上での争い似た愚かしい行為だと戒めている。

荘子は老荘思想を唱える道家のうちの一人で、宇宙の根源的存在としての「道」にのっとった無為自然の行いを重視する思想である。


 

風馬牛  

さかりのついた馬や牛でも遠く離れていては仕方がない

出典:春秋左氏伝:孔子の編纂といわれ、紀元前700年頃から約250年間の魯国の歴史が書かれている。

詳しい紹介:
 周の恵王が紀元前656年、楚を討つこととした。一方楚の方では、使者を立ててその討伐の意図を尋ねた。「君を北海におり当方は南海におり、唯是れ風する馬牛も及ばず。考えも及ばないが、君のわが地に渉らんとするは何の故ぞ。」という問いかけの中に「風馬牛」が使われている。昔の戦争は、ある意味それなりの会話と礼を尽くしていたのかと興味がそそられる。

  
 
 

寧ろ鶏口となるとも牛後と為るなかれ  

小さいものの頭には なっても大きいなものの尻になるとの戒めである。

出典:史記の『蘇秦伝』

詳しい紹介:
  表題の鶏口は「鶏の頭」 牛後は牛の尻のことで 鶏の頭は小さいが尊く、牛の尻は大きいが賤しい。つまり小さいものの頭には なっても大きいなものの尻になるとの戒めである。現代風に言えば、大企業で底辺でいるよりも、中小企業のトップで居るべきであるという「教え」ともとれる。
 この話は 春秋戦国時代に 秦以外の各国を回って 生き残りのために合従(同盟)を説いた蘇秦の話である。合従とは趙、韓、魏、斉、楚などの小国が秦を相手にバラバラで対抗しても勝つことはできない。 蘇秦は、秦に対抗するためには、合従(同盟)するしかないと各国を回って説いて回って、一定成功したかに見えたが 現実には、一年で瓦解している。

この合従説を説いた蘇秦以外に連衡説を説いた張儀が縦横家として諸子百家に数えられている。
因みにこの縦横家以外に諸子百家には、名家,墨家,法家,儒家,陰陽家,道家,農家,雑家、小説家、兵家などがある。   



 


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2022年2月2日水曜日

仁を含む故事成語:儒教の根幹の思想であるが、それは今なお影響力を持っているのかを、成語や故事から探る

仁が含まれる成語は多く儒教の背骨を構成する。そしてそれは今や東アジア諸国民の土壌となって人々の思想、文化の礎になっている

 われわれ日本人や中国人や韓国人の考える民主主義と欧米人の考えるそれとは違うのではないかと薄々感じていた。
 なぜだろうと考えてみると、結局『個』の考え方や受け止め方の違いではないかというとことに行き着いた。

 欧米人は徹底した個人主義の上に物事を考えるが,東アジアの人々は絶えず周りをkにして物事を考え、徹底的に個人を前面に押し出すことができない。このことは決していい悪いの問題ではなく、民族性の問題であると思う。

 しからばこの複雑な世界を本当に調和させるためには、どうすればいいか試行錯誤が続くが、そのヒントはこの欧米人とアジア人の『個』の受け止め方の調和を図ることになるのではないかと感じている。
 

一視同仁  

出典:
出典:唐•韓愈《原人》:“是故圣人一視而同仁;篤近而舉遠
近い遠いと関係なく分け隔てなく同様にみる

詳しい紹介:
差別することなく、全ての人を平等に慈しむこと。「一視」は一つのものとして見ること。「仁」は愛するという意味。
「同仁」は全てのものを同じように愛するという意味。

  


 
  
 

仁義礼智  

人として行わなければならない徳を「仁義礼智」とする

出典: 孟子・尽上
漢書「董仲舒」ではこれに『信』を加えて、仁義礼智信の五徳としているとしている

詳しい紹介:
漢書「董仲舒」ではこれに『信』を加えて、仁義礼智信の五徳としているとしている

  


 
 

殺身成仁

通常他人のために自身の一命を犠牲にすることを「身を殺して仁を成すというが孔子の場合仁を成すために身を殺すという

出典: 「論語・里仁」
仁のある人とは生命を捨てても、仁を成し遂げるものだ

故事:
ある時孔子の弟子が、教えを乞うてきいた。先生は人徳についてお話をされています。忠義全てまことに結構だと思います。人皆お互いに愛し、仁義を持って人に接する。これは美徳です。これを得たいものだと思いますが、人々の住む世界は欲望に満ちています。もし仮に人徳と生命とが衝突する事態に至った時はどの様に処理すべきでしょう。
 孔子は厳粛な面持ちで、真に人を持つ人なら、仁義を捨てて自分の死を恐れて、生きようとすべきではない。仁義を全うするために自分の命を顧みないようにすべきだ。

  


 
 

巧言令色鮮し仁  

口がうまく人にへつらう人間を孔子は忌み嫌った

出典:「論語・学而」
巧みな話しぶりと人当たりの良さでへつらうような人間は、本当の思いやりの心が少ないものです。

詳しい紹介:
言葉や顔つきを上手くとりつくろうような人たちには、仁なる人(人格者)はいない。
 却ってむしろ口が重く、愛想がない、「剛毅木訥」の人こそ仁に近く信頼できるものだ。 

  


 
 

觀過斯知仁矣: 

過ちを観て仁を知る

出典:『論語』里仁:
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。

詳しい紹介:
「人之過也,各於其黨。觀過,斯知仁矣。」人は誤りは、その特性に応じて、犯すものだ。したがって、その誤りを見ればその人となりが分かる。

  


 
 

志士仁人  

殺身成仁でも同じような講和がなされている

出典:《論語•衛靈公》:“志士仁人
仁を害することを以て生を求めることなく、仁をなすことを以て身を殺すことあり

詳しい紹介:
 国家・社会のために心を尽くそうとする人や、仁徳のある人は、自分の生存のために、生命を捨てても仁の道を全うする。
 このような滅私奉公的な考えは、儒教の考え方の根幹をなすように思われる。

 これは長い間、美徳として称賛されてきた。近年においても中国の体制の中でも、しばしば、革命運動を推進する人々の革命的な精神を称賛するものとして繰り返されてきている。

 中国の革命運動の土壌が、本当に個を生かすという近代的な思想からは乖離を起こしているといわざるを得ない

  
 
 

宋襄之仁  

むやみに情けをかけたことによって、かえってひどい目にあうこと。敵に塩を送るという上杉謙信の逸話と対極をなす

出典:
『春秋左氏伝』僖公二二年

詳しい紹介:
中国春秋時代、BC640年ごろ、宋の襄公が楚に攻められたとき、臣下が「敵の布陣が完成する前に、攻撃を仕掛け、相手を打ち破るべき」と何度も進言したのを退け、「君子は敵が困っているときには苦しめるものでない」といって攻めなかった。結局、宋は好機を逃して楚に敗北を喫した。

  

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2022年1月29日土曜日

明を含む勉強に役立つ実践的故事・成語 

人生を乗り切るために役に立つ成語・故事

 

明哲保身  

古来、広く物事に通じ、深く事物を極めた英知の人をたたえ、またその英知によって誤ることなく身を処した徳の高い人を形容して言った言葉。

出典:
『詩経』

詳しい紹介:
周代の賢相の仲山甫の徳を称えて、「既にして明且つ哲 以てその身を保ち云々」をいう賛辞が掲げられている。この言葉が、『明哲保身』の語源とされる

  
 
  
 

明鏡止水  

明らかに垢を留めぬ鏡と制して動くことのない水はともに動揺することがない心境を表すのに用いる言葉

出典:
徳充符篇

詳しい紹介:
盧の国に刑によって足を切られた王駘という人物ががあり、学徳優れた人として評判も高く、入門して教えを乞うものも多かった。孔子の門下の常季はあまり面白くなく、孔子に「あのものはさして人並み優れたもののように見えないがなぜでしょう」と尋ねた。孔子は彼が聖人の域に達した立派な人物であることを説いて聞かせた。そして、「あの方のなににも動かされない心の静けさのせいだ。己の姿を見るには、流れる水ではなく静かに止まっている水を鏡とするであろう。」と語ったという逸話が原点だといわれている。

  
 
 

明主は一鬢一笑を愛しむ  

君主たるもの自分の行い一つ一つわきまえて行動すべし

出典:
韓非子「内儲上篇」

詳しい紹介:
春秋戦国時代の七強国の一つに韓という国があった。この国の昭候の時代(紀元前300年ごろ)の話。
この昭候が家臣に命じて破れ袴をしまい込ませた。それをみた家臣はいった。「恐れながらわが君、敗れた袴まで、家臣に下されず、しまい込んでおかれるとはどうしてですか?」 それに対し昭君は「余は、『明君は一鬢一笑を愛しむ』ということを聞いている。眉をしかめたる笑ったりするのもそれぞれ理由があることだが、明主たるものむやみに笑ったり眉を顰めたりしてはならないもの。まして、破れたからといってむやみに袴などを家臣に与えてはならない。いずれ与えるに値するものが出てきたときに与えよう。しばらくはお預けじゃ」と語ったという。


明窓浄机  

勉強に集中するには、机や周りには気分が分散するものは置かないようにすべし

出典:
欧陽脩「試筆」(北宋の仁宗から神宗時期の政治家・詩人・文学者・ AD1000年ごろ)

詳しい紹介:
明るい窓のところに置いたきれいにチリをちりを払い清めた机。きちんと整理された清らかな書斎のこと。
 近年子供が小学校にあがtる時、勉強机と称してあれこれの機能が付いたものが商品化されているが、子供が本当に勉強に向き合う環境というのは、あまり気が散らないように机の周りは整理して何もないのが望ましいと昔から言われていることだ。

  


 
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