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鳥獣戯画・守株待兎

2022年2月21日月曜日

書にかかわる故事来歴・成語集:役に立つ人生の糧と歴史の教訓 

役に立つ人生の糧 故事来歴・成語集

 

焚書坑儒  

中国で初めて統一国家を作り上げた始皇帝にまつわる話

出典:史記、始皇帝紀

詳しい紹介:
 秦の始皇帝の 天下統一がなり、封建制を廃止して諸国を郡県に分けて中央集権の一大帝国を開いた 。 その34年、紀元前213年 群臣を集め、今後の方策を議論させた 。
 そこで丞相の李斯が皇帝の前に進み出て、「今や天下泰平の世の中ですが、朝廷では口をつぐみ、巷に出てはこれを論難し、しかも門下を引いて徒党を組んでいるものがあります。かかる輩を放置すれば 君の御威光を傷つけ、将来に禍根を残すものである 。
 従って四民必須の医薬卜筮、農耕の書と秦の記録を除く他の書、詩・書から諸子百家に到るまでの書物を焼き捨てるよう進言します。 さらに詩・書を論ずるものは死刑にしその屍をさらすこととし過去と比べて現在を謗るものは一族皆殺しとし、また以上の禁令を犯したものを知って検挙しない役人も同罪とする。また命の出のち30日を経ても書を焼かないものは、刺青をして賦役の刑に処すよう厳命ください。」始皇帝はこれを了承し、史上まれにみる大弾圧が行われた。これを焚書という。

 さてその後以前から不老長寿の生を得たいと念じていた始皇帝は神占術にこり、大勢の方士を集めた。とりわけその中での盧生と侯生というものを信頼していたが、この二人は儲けるだけ儲けると始皇帝の不徳を言い立てて咸陽を逃げ出してしまった。
 皇帝は大いに怒り、この他にも悪態をつくやつがいるだろうということでスパイを放って市中を探らせると果たして朝廷を非難している学者たちがいることは分かった。詳しくこれを調べ上げ、それに連なるも460人をことごとく捉え、生きながら穴埋めにして遍くこれを天下に知らしめた。これを坑儒と言う

  

能書は筆を選ばず  

絵で文字でも、本当の達人は紙や筆などの材料や道具には文句をつけないということだ。

参考文献:「中国故事物語」 河出書房新社 、後藤基巳、駒田信二、常石茂編
出典:唐書

詳しい紹介:
 唐の時代には多くの学者、詩人、画家などが輩出された。書道の達人としては、虞世南、褚遂良、顔真卿、歐陽詢などが有名だった。中でも歐陽詢は最も名高い。
褚遂良は良い筆や墨がなければ書こうとはしなかった。
 ある時褚遂良が「歐陽詢の書と自分の書を比べたらどちらが優れているだろうか」と虞世南に尋ねた。虞世南は答えて曰く、「歐陽詢は筆については一切文句を言わず、どんな筆でも、どんな紙にでも書いたそうだが、どんなものを使っても思う通りに書けたという。君はまだ、紙や筆にこだわっているようだから、到底を使っても思うようにかけたというまだ神谷すでに降ってるようだから到底、詢にはかなうまいといった。これには褚遂良も一言も返すことができなかったという。

日本にも「弘法は筆を選ばず」という言葉があり、これと似たような話である。

  


 


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2022年2月16日水曜日

牛にかかわる故事来歴、役に立つ人生の糧・成語集

牛にかかわる故事来歴、ことわざ、成語

 

牛耳を執る   

 古代中国で諸侯が集まって同盟をする時の一儀式

出典:
史記、左伝

詳しい紹介:
牛の耳を取り裂いて血をすすりあって、神前に誓いを立てる。この時盟主(最も尊いもの)が牛耳を取り、最初に血をすするのが通例である。昔戦国時代呉王夫差が「晋」の定公との間の同盟を結ぼうとした時、この「牛耳を執る」ことに固執し、ついには晋の定公を奇襲で打ち負かし、自らの盟主としての「牛の血」をすすった後、越王勾践との戦いに急ぎ取って返した話は有名。

  
 
 

九牛の一毛

 取るに足らない些細な事

出典:
前漢の第7代皇帝武帝の治世下、後に史記を書き上げるとこtになった司馬遷が、李陵将軍を庇ったことに皇帝の逆鱗に触れ、宮刑に処せられた時、「世人は私が刑せられたことなど、九牛が一毛を失うことぐらいにしか感じないであろう」と嘆いたことからくる。

詳しい紹介:
 紀元前99年李陵将軍は匈奴征伐に向かった。彼は辺境の地で名を馳せた李広の息子である。李陵将軍はわずか5000の兵を率いて強大な敵の主力部隊とぶつかり、奮戦したにもかかわらず、援軍もなく、脱走兵も出るに及んで、匈奴の捕虜となった。皇帝武帝は彼が匈奴の手厚い保護を受けていると知り、激怒し家族も含め厳罰に処しようとした。司馬遷は、「わずかな兵で強力な敵と戦い奮戦したにも関わらず、やむなく降伏したものと考えられる。従って李陵の功を大いに天下に知らしめてください。」と弁護した。それを聞いた武帝は司馬遷を投獄の上宮刑に処してしまう。宮刑とは男根を切断する刑であり司馬遷自身も最下等の恥辱といっている。その時に「彼は世人は私が刑せられたことなど九牛が一毛を失うぐらいにしか考えてないであろう」とも言っている。司馬遷はこのような恥辱を受けながらも、それに耐え、『史記』百三十巻を完成した。紀元前97年のことである。

 
 

蝸牛角上の争い  

つまらない事で争うこと。

出典:『荘子』則陽

詳しい紹介:
 戦国時代は中原の国々が覇権を争い強肉弱食の武力抗争に明け暮れた時代である荘子の則陽篇にあるこの話 荘子が梁の恵王に対し説いた話だといわれている。弱肉強食の武力抗争に明け暮れていた血みどろの戦いをカタツムリの角の上での争い似た愚かしい行為だと戒めている。

荘子は老荘思想を唱える道家のうちの一人で、宇宙の根源的存在としての「道」にのっとった無為自然の行いを重視する思想である。


 

風馬牛  

さかりのついた馬や牛でも遠く離れていては仕方がない

出典:春秋左氏伝:孔子の編纂といわれ、紀元前700年頃から約250年間の魯国の歴史が書かれている。

詳しい紹介:
 周の恵王が紀元前656年、楚を討つこととした。一方楚の方では、使者を立ててその討伐の意図を尋ねた。「君を北海におり当方は南海におり、唯是れ風する馬牛も及ばず。考えも及ばないが、君のわが地に渉らんとするは何の故ぞ。」という問いかけの中に「風馬牛」が使われている。昔の戦争は、ある意味それなりの会話と礼を尽くしていたのかと興味がそそられる。

  
 
 

寧ろ鶏口となるとも牛後と為るなかれ  

小さいものの頭には なっても大きいなものの尻になるとの戒めである。

出典:史記の『蘇秦伝』

詳しい紹介:
  表題の鶏口は「鶏の頭」 牛後は牛の尻のことで 鶏の頭は小さいが尊く、牛の尻は大きいが賤しい。つまり小さいものの頭には なっても大きいなものの尻になるとの戒めである。現代風に言えば、大企業で底辺でいるよりも、中小企業のトップで居るべきであるという「教え」ともとれる。
 この話は 春秋戦国時代に 秦以外の各国を回って 生き残りのために合従(同盟)を説いた蘇秦の話である。合従とは趙、韓、魏、斉、楚などの小国が秦を相手にバラバラで対抗しても勝つことはできない。 蘇秦は、秦に対抗するためには、合従(同盟)するしかないと各国を回って説いて回って、一定成功したかに見えたが 現実には、一年で瓦解している。

この合従説を説いた蘇秦以外に連衡説を説いた張儀が縦横家として諸子百家に数えられている。
因みにこの縦横家以外に諸子百家には、名家,墨家,法家,儒家,陰陽家,道家,農家,雑家、小説家、兵家などがある。   



 


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2022年2月2日水曜日

仁を含む故事成語:儒教の根幹の思想であるが、それは今なお影響力を持っているのかを、成語や故事から探る

仁が含まれる成語は多く儒教の背骨を構成する。そしてそれは今や東アジア諸国民の土壌となって人々の思想、文化の礎になっている

 われわれ日本人や中国人や韓国人の考える民主主義と欧米人の考えるそれとは違うのではないかと薄々感じていた。
 なぜだろうと考えてみると、結局『個』の考え方や受け止め方の違いではないかというとことに行き着いた。

 欧米人は徹底した個人主義の上に物事を考えるが,東アジアの人々は絶えず周りをkにして物事を考え、徹底的に個人を前面に押し出すことができない。このことは決していい悪いの問題ではなく、民族性の問題であると思う。

 しからばこの複雑な世界を本当に調和させるためには、どうすればいいか試行錯誤が続くが、そのヒントはこの欧米人とアジア人の『個』の受け止め方の調和を図ることになるのではないかと感じている。
 

一視同仁  

出典:
出典:唐•韓愈《原人》:“是故圣人一視而同仁;篤近而舉遠
近い遠いと関係なく分け隔てなく同様にみる

詳しい紹介:
差別することなく、全ての人を平等に慈しむこと。「一視」は一つのものとして見ること。「仁」は愛するという意味。
「同仁」は全てのものを同じように愛するという意味。

  


 
  
 

仁義礼智  

人として行わなければならない徳を「仁義礼智」とする

出典: 孟子・尽上
漢書「董仲舒」ではこれに『信』を加えて、仁義礼智信の五徳としているとしている

詳しい紹介:
漢書「董仲舒」ではこれに『信』を加えて、仁義礼智信の五徳としているとしている

  


 
 

殺身成仁

通常他人のために自身の一命を犠牲にすることを「身を殺して仁を成すというが孔子の場合仁を成すために身を殺すという

出典: 「論語・里仁」
仁のある人とは生命を捨てても、仁を成し遂げるものだ

故事:
ある時孔子の弟子が、教えを乞うてきいた。先生は人徳についてお話をされています。忠義全てまことに結構だと思います。人皆お互いに愛し、仁義を持って人に接する。これは美徳です。これを得たいものだと思いますが、人々の住む世界は欲望に満ちています。もし仮に人徳と生命とが衝突する事態に至った時はどの様に処理すべきでしょう。
 孔子は厳粛な面持ちで、真に人を持つ人なら、仁義を捨てて自分の死を恐れて、生きようとすべきではない。仁義を全うするために自分の命を顧みないようにすべきだ。

  


 
 

巧言令色鮮し仁  

口がうまく人にへつらう人間を孔子は忌み嫌った

出典:「論語・学而」
巧みな話しぶりと人当たりの良さでへつらうような人間は、本当の思いやりの心が少ないものです。

詳しい紹介:
言葉や顔つきを上手くとりつくろうような人たちには、仁なる人(人格者)はいない。
 却ってむしろ口が重く、愛想がない、「剛毅木訥」の人こそ仁に近く信頼できるものだ。 

  


 
 

觀過斯知仁矣: 

過ちを観て仁を知る

出典:『論語』里仁:
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。

詳しい紹介:
「人之過也,各於其黨。觀過,斯知仁矣。」人は誤りは、その特性に応じて、犯すものだ。したがって、その誤りを見ればその人となりが分かる。

  


 
 

志士仁人  

殺身成仁でも同じような講和がなされている

出典:《論語•衛靈公》:“志士仁人
仁を害することを以て生を求めることなく、仁をなすことを以て身を殺すことあり

詳しい紹介:
 国家・社会のために心を尽くそうとする人や、仁徳のある人は、自分の生存のために、生命を捨てても仁の道を全うする。
 このような滅私奉公的な考えは、儒教の考え方の根幹をなすように思われる。

 これは長い間、美徳として称賛されてきた。近年においても中国の体制の中でも、しばしば、革命運動を推進する人々の革命的な精神を称賛するものとして繰り返されてきている。

 中国の革命運動の土壌が、本当に個を生かすという近代的な思想からは乖離を起こしているといわざるを得ない

  
 
 

宋襄之仁  

むやみに情けをかけたことによって、かえってひどい目にあうこと。敵に塩を送るという上杉謙信の逸話と対極をなす

出典:
『春秋左氏伝』僖公二二年

詳しい紹介:
中国春秋時代、BC640年ごろ、宋の襄公が楚に攻められたとき、臣下が「敵の布陣が完成する前に、攻撃を仕掛け、相手を打ち破るべき」と何度も進言したのを退け、「君子は敵が困っているときには苦しめるものでない」といって攻めなかった。結局、宋は好機を逃して楚に敗北を喫した。

  

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